いざウズベキスタン観光!ウズベキスタン周遊した各観光地と治安など

中央アジアに位置するウズベキスタン。

その立地からシルクロードの重要な交易路として発展してきた歴史を持ちます。

今回は、2018年にそんなウズベキスタンへ観光してきましたので、そちらの模様をご紹介したいと思います。

ウズベキスタン観光に興味がある人もそうでない人も、ぜひ最後までお付き合いください!


ウズベキスタン観光のメイン!青の都サマルカンド

シャーヒズィンダ廟群

今では青の都として有名な世界遺産都市サマルカンド。

サマルカンドブルーとも呼ばれる青いタイルや、降雨量の少ない高い青空などから青の都と呼ばれているんです。

ここでは、タシケントに遷都するまでウズベキスタンの首都として機能したサマルカンドの各遺跡や観光地を歴史の時系列で紹介したいと思います。

初期サマルカンドを観光

紀元前10世紀からオアシス都市として発展してきたサマルカンド。

紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王も東方遠征で攻め込んできた地になります。

アフラシャブの丘

その後、サマルカンドは写真のアフラシャブの丘を中心に中央アジアの交易都市として栄えます。

現在のウズベキスタンはイスラム教国ですが、アフラシャブはイスラム教が入ってくる前の都市であったため、その以前まで国教として広まっていたゾロアスター教(拝火教)の祭壇などがここから発掘されています。

アフラシャブ博物館

隣接するアフラシャブ博物館でゾロアスター教時代の発掘物やアレクサンドロス大王時代の遺産なども見れます。


ティムール朝と彼の関連遺跡を観光

さて、アフラシャブの丘にあったそれまでのサマルカンドの中心地は、13世紀のチンギスハンによる西方遠征で徹底的に破壊されてしまいます。

その後台頭したティムールによりサマルカンドの再建が始まるのですが、彼はかつての中心地でしたアフラシャブを再建するのではなくそこから見渡せる場所を新たな街の中心地として再開発を進めました。

ティムール

上の写真は、彼のお墓でもあるグーリアミール廟のティムール肖像画になります。

彼は内政よりもどちらかと言えば外政、もっと言えってしまえば遠征に力を入れていました。

各地を攻め落とし防衛し、最大で南はインドの北、西は今のイランやイラクを超えシリアの方まで勢力下に納め1代でティムール朝と呼ばれる大帝国を築いたのです。

9世紀ごろから建設が始まったシャーヒズィンダ廟群をティムールは拡張させ、自身の親族だけでなく戦争で功を納めた将軍なども埋葬しました。

また、戦争の戦勝祈願と凱旋のモニュメント的な役割でビビハニムモスクも建築させました。

そんなティムールも病には勝てませんでした。

70歳手前ごろ、中国との戦争のため移動中のカザフスタン南の都市で病死してしまったのです。

グーリアミール廟内部

ティムールの肖像画のところでも紹介しましたが、彼はここ黄金に輝くグーリアミール廟で今も眠っています。

絢爛豪華な廟、彼の偉大さやいかに国民から支持されていたのかが見て伺えますよね。

ティムール以降のサマルカンドとその遺跡を観光

ティムールの死後、王位継承のいざこざはあった後にティムールの孫にあたるウルグベクがサマルカンドの発展を担うことになりました。

レギスタン広場

例えば、ウズベキスタンでも一番有名なサマルカンドのレギスタン広場。

ティムールの時代にも、ここはバザーなどが立ち並ぶなど活気のある場所だったそうなのですが、ここにメドレセ(神学校)を初めて立てたのがウルグベクでした。

向かって左が彼が作らせたウルグベクメドレセ。

他、右と中央のものはその後に作られたものになります。

ウルグベク天文台内部

他にも、上の写真のウルグベク天文台もとても有名です。

隣接する博物館でどのように観測していたのか詳しく知ることができます。

訪れた際には、是非博物館も訪れてください。

このように神学校を積極的に作ったり、天文台を設置したりとウルグベクは学問の発展にも注力した治世者だったのです。


サマルカンドを観光して

ここで紹介したアフラシャブの丘、シャーヒズィンダ廟群、ビビハニムモスク、グーリアミール廟、レギスタン広場、ウルグベク天文台が主だったサマルカンドの観光地になります。

他にも、ビビハニムモスクに隣接するシャブバザールや、ウズベキスタン初代大統領カリモフ大統領廟などから、現在のウズベキスタンの人々の生活を知ることができると思います。

今回は歴史の時系列でサマルカンドの観光地を紹介しましたが、それぞれの遺跡や観光地の詳細を写真多めで紹介している別記事もあります。

サマルカンド地図

サマルカンド観光で絶対おすすめの7箇所!実際に観光してみた感想

ウズベキスタン観光のメイン!サマルカンドに興味ありましたら、ぜひ上の記事もご覧ください。

ウズベキスタンでメドレセ数No.1!「知識の基本」ブハラ観光

カラーン・モスク内部

世界遺産に登録されているウズベキスタンの観光都市全てに言えることですが、ここブハラもシルクロードの交易都市として発展してきた場所になります。

サマルカンドには実は既に存在しないのですが、キャラバンサライ(行商人の宿泊施設として使われていた建物)もブハラには現存していたり等々、興味深いもので溢れています。

また、ブハラは国内でのメドレセ数がNo.1の「知識の基本」と呼ばれる都市にもなります。

そこには複雑な経緯もあるのですが、順を追って紹介して行きたいと思います。


ブハラに現存する最古の遺跡群を観光

この地は紀元前5世紀ごろから人々が住み着き生活をしていたそうなのですが、サマルカンドと違い観光で訪れる場合、それを見て取れる場所はありません。

紀元前まで遡ると難しいのですが、ブハラには中央アジアに現存する最古の建築物があります。

それがここ、イスマイール・サーマーニ廟。

9世紀に作られたここは、イスラム教とゾロアスター教二つの建築様式が混在する珍しい建築物となります。

当時のサーマーン朝の王様イスマイール・サーマーニの名が付けられているが、彼が眠っているかは不明だそうです。

三週反時計回りに歩くと願いが叶うそうですので、訪れた際には皆さんも歩いてみましょう(当然私も3週歩きました)!

マゴキアッタリモスク

次に紹介するのは、ここマゴキアッタリモスク。

こちらも、先ほどのイスマイール・サーマーニ廟と同様の時代に建てられたとされています。

マゴキアッタリモスクから向かって左側には、発掘途中の遺跡が眠ります。

さて、サマルカンド同様、ブハラにもチンギスハンが攻めて来ました。

アフラシャブのようにブハラも彼に攻め落とされ破壊されるのですが、イスマイール・サーマーニ廟やマゴキアッタリモスクがその姿を留めている理由が、採掘途中の上の写真にあります。

はい、そうです!当時のブハラの人たちは、チンギスハンの軍勢から遺跡を守るため埋められるものは地中に埋め、どうにか破壊を免れようとしたんです。

そのような行動があったからこそ、我々が現代においてもそれら遺跡を目にできるんですね。

まさに学園都市!観光したブハラのメドレセ一覧

ブハラの冒頭でも触れましたが、メドレセと呼ばれるイスラム教の神学校がウズベキスタンの中でも一番多く存在する場所になります。

それでは、実際に私がブハラで見て周ったメドレセを以下より簡単に紹介したいと思います。

写真は、ブハラのウルグベクメドレセ 。

サマルカンドのレギスタン広場同様、ブハラでもウルグベクはメドレセを作っているです。

流石、学問の発展に寄与した人と言った感じです。

ウルグベクメドレセの正面にあるのが、アブドゥールアジスハーンメドレセ。

メドレセ内にあるモスクは特に補修工事もされておらず、ほぼ当時のまま。

それがまた見る人を圧倒させるわけです。

外観は後に紹介する別記事で詳しく触れるとして、一つ言えるのは内観外観の美しさはブハラ一のメドレセとなります(ウズベキスタン観光の中でも個人的には5本の指には入るほど感動した場所となります)。

ただ、ガイドのないウズベキスタン個人旅行でブハラを訪れる場合は、アブドゥールアジスハーンメドレセ内で勝手に商いをしている現地の人に上の写真を見せて「ここに行きたい」と伝えてください。

行商のカーテンで隠されている場合もあり、普通にアブドゥールアジスハーンメドレセ内を探索しても上の写真のモスクには辿り着けないような…(まぁタイミングにもよるのでしょうが)。

ミルアラブメドレセ

こちらは、ミルアラブメドレセ。

実はここ、ウズベキスタンでも10校しかない現役の神学校になるんです。

他のメドレセは少なくとも我々観光客からすれば遺跡や観光施設と言った感じなのですが、ミルアラブメドレセは普通に学生さんがここで勉強をしているわけです。

現地のガイドさんと一緒に訪れたからなのかは分かりませんが、私は中まで見学させてもらいました。

そちらの内容は、また別の記事で詳しく触れたいと思います。


シルクロードの痕跡観光

では、次にシルクロードの中継地点として栄えた証明とも言える観光地を紹介したいと思います。

と言いながら早速ですが、、、メドレセの流れから、先ずはこちらを紹介しましょう。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ

上の写真は、ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。

メドレセって、神学校じゃないの?とお思いでしょう。

はい、後に神学校として使われるようになったのですが、一番最初はキャラバンの宿泊施設キャラバンサライとして作られたのでした。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセのナディール・ディヴァンベギとは、当時の大臣の名前。

このナディール・ディヴァンベギさんはキャラバンサライとして作られたこの施設を、彼自身の名により後にメドレセに変更させたのでした。

今では、ダンスなどを見ながらディナーが食べられるレストランにもなっています。

ラビハウズラクダ

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセの正面にあるのが、街の中心に位置するラビハウズ。

見ての通り貯水池です。

もちろん、ブハラの人々の貯水池としても使われてましたが、キャラバンサライの目の前ということもあり、キャラバンの人たちのために作られた側面の方が強いのでした。

このようなハウズ(貯水池)は他にも残っており、後に紹介するアルク城の正面にもボロハウズという貯水池がありました。

ブハラのモスク観光

ブハラにも立派なモスクがあります。

次に、ブハラで観光したモスクを簡単に紹介したいと思います。

ウズベキスタンの世界遺産都市の一つブハラに置いて、一番の観光の目玉がここカラーンモスクとなります。

併設するカラーンミナレット、そして正面には先ほども紹介したミルアラブメドレセがあり、何時間でもいられる場所になります。

もう一つモスクをご紹介。

それが、先ほども紹介したボロハウズの目の前にあるボロハウズモスク。

こちら、観光地というよりは、現地のウズベキスタン人の方々がお祈りを捧げる生活に根付いたモスクといった感じになっています。

内装もお祈りがしやすいようにとカーペットが敷かれていたり、大きなシャンデリアがあったりでとても綺麗でした。

ブハラハン国の王宮・アルク城観光

ティムール朝が潰えてから国は分裂し、いくつかの支配勢力が代わり、そして20世紀初頭までこの地を支配したのがブハラハン国となります。

そのブハラハン国の王宮が、写真のアルク城。

雄大な門と城壁ですよね。

中には、牢獄からモスクから謁見の間から多種多様な広間がありました。

ロシアからの迫撃砲により修繕されている箇所が多いのですが、ウズベキスタンのブハラに訪れたら絶対に行きたい観光地の一つであることは間違いありません。


ウズベキスタン中央に位置するブハラを観光してみて

シルクロードの街でありながら、サマルカンドや後に紹介するヒヴァ・イチャンカラとも違う雰囲気の街ウズベキスタンのブハラ。

サマルカンドからも高速鉄道アフラシャブ号が走っており、とても行きやすくオススメです!

世界遺産ブハラで13の観光地を堪能!ブハラ観光ダイジェスト

上記でここでも紹介した観光先の遺跡等をより詳しく紹介しています。

また、ブハラの人々の暮らしや小学校教育等も触れさせてもらった模様は、、、

ブハラの中心ラビハウズとその周辺観光!ユダヤ人街で小学校も訪問

こちらで紹介しています。

ブハラで食べた現地の人しかやってこないナン屋さんの焼きたてナン、とっても美味しかったです!

こちらも是非併せてご覧くださいませ!

完全なる城壁都市ヒヴァ・イチャンカラ

ウズベキスタンの中で一番西にある世界遺産が、ここヒヴァのイチャンカラになります。

アフラシャブ号のおかげで、サマルカンドまで行けばブハラは行きやすいと前述しましたが、ここヒヴァのイチャンカラは残念ながら今現在アフラシャブ号も走っておらず、とっても行きにくい場所になってしまっています。

交通手段は、飛行機かブハラからの陸路のバスで8時間!

大抵の人は、折角のウズベキスタン観光でもサマルカンドやブハラで引き返してしまうのですが、個人的にはイメージする中央アジアっぽさ(中央アジアの砂漠エリアの街ってイメージ)が一番強い街でもあり、とってもオススメです。

もしあなたがウズベキスタン観光を企画しているなら、ぜひ訪れてほしい!そんな思いも込め次から主にイチャンカラを中心にヒヴァの観光地を紹介していきますね。

城壁都市イチャンカラ観光

ウズベキスタンは勿論、中央アジアにて唯一城壁が完璧な状態で残っているのが、世界遺産でもあるここイチャンカラ。

ブハラもそうだったのですが、ウズベキスタンや近隣の中央アジアではこのように城壁に囲まれた都市がいくつも乱立していたんです。

なのですが、前述の通り城壁が完璧な状態で残っているのは、ここヒヴァのイチャンカラのみとなるんです。

ヒヴァに行ったら必ず城壁内に入場すると思いますが、もう中に入ってしまえばRPGの世界!さすが世界遺産イチャンカラ!!もう、この街をのんびり歩いているだけでときめくこと間違いなしです。


高いところからイチャンカラを眺めてみる

冒頭の写真は見張り台からの写真=高台から写真ではあるのですが、イチャンカラ内にはミナレットが2本あり、そのどちらとも登れます。

私はジュマモスクにあるミナレットに登ったのですが、その景色はというと、、、

ジャジャン!

こんなのでしたり、、、

ジャジャジャジャン!!

こんな感じだったりします。

ジュマモスクのミナレットは暗くかなり急な階段を登らなければなりませんが、それでも肉眼で見る価値のあるものだと思います。

ウズベキスタン、ヒヴァ観光の際は必ず登ってみてくださいね!!

ヒヴァのイチャンカラに観光してみて

ここではヒヴァ観光を簡単にしか紹介しませんでしたが、他にも先ほどのジュマモスクや、ヒヴァの象徴とも言えるカルタミナル、またそれに隣接する現在ではホテルとして稼働するムハンマド・アミン・ハン・メドレセ。

そして、ヒヴァハン国の王宮でもあったタシュハウリ宮殿や、ヒヴァで一番美しい建築物パフラヴァン・マフムド廟にも訪れました。

世界遺産イチャン・カラへ!ウズベキスタン唯一の現存する城塞都市

私が観光したそれら全ては、上記にまとめています。

街をぶらぶらと観光するだけで非日常に連れて行ってくれる世界遺産都市ヒヴァのイチャンカラ。

もしよろしければ、ウズベキスタン観光の参考に上の記事も是非ご覧くださいませ!

ウズベキスタンの首都タシケント

シティパレスホテル夜景

ウズベキスタンの首都タシケントの夜景。

光が煌々と灯っていますよね。

それもそのはず、タシケントは中央アジアでも唯一地下鉄が開通しているほどの大都市なんです。

私は少々特殊なルート(サマルカンドへのチャーター便)を使ったのですが、普通にウズベキスタンへ日本から空路で入国しようとした場合、例外なくタシケントから入ることになると思います。

そんなウズベキスタンの中心、タシケントの観光の模様を簡単に紹介したいと思います。


決して外せない日本人墓地とナヴォイ劇場

第二次世界大戦の終結時、ソ連の急な侵攻に日本国外に残留していた人々がソ連軍の捕虜となりました。

結果、皆さんもご存知の通りシベリア抑留と呼ばれる(ここではハッキリと言いますが)強制労働が行われていましたよね。

このシベリア抑留のシベリアと言うのは総称だと思ってください。

と言うのは、シベリア以外にも旧ソ連の統治地域に捕虜となった日本人は連れていかれ、ここウズベキスタンでも強制労働をさせられていたのです。

代表的な例として挙げるのも間違っているかもしれませんが、上記写真のナヴォイ劇場も日本人の抑留で作られた代表的な建築物となります。

タシケントで過去に起きた大地震で潰れなかったことから、ウズベキスタンの人々に日本人が尊敬の念を持たれると言うのも皮肉なものですが、そのような近代史があったりします。

タシケント抑留日本人墓地

そんなナヴォイ劇場をはじめ、タシケントのみならずウズベキスタン全土の建築物を作り、そして強制労働の果てに死んでしまった日本人が眠るのが、ここ日本人墓地。

20代に至らない若者もここに埋葬されています。

日本政府がウズベキスタンに眠るご遺体を引き取ると伝えた際、永遠に、そして丁重に供養をし続けるから我々にここを面倒見させてくれと言ったウズベキスタンの人々。

私がタシケントの日本人墓地に訪れた際も、ここ専門で墓守をしてくださっている方がいらっしゃり、詳しくお話をお伺いできました。

ウズベキスタ抑留日本人墓地

ウズベキスタンのタシケント抑留日本人墓地とナヴォイ劇場へ訪問

ナヴォイ劇場やタシケント日本人墓地の詳しい内容は、こちらの記事で触れています。

上記内容、是非ご覧いただきたいですし、それ以上にウズベキスタンに訪れたなら、必ずそれらの場所にも訪れていただきたいと思います。

ウズベキスタン観光の前に!ウズベキスタン、どんな国?

さて、これまではサマルカンド、ブハラ、ヒヴァのイチャンカラ、そしてタシケントと私が実際に回った順にウズベキスタンの都市を紹介しましたが、次よりそれらウズベキスタン全体の印象を紹介したいと思います。

上の写真はウズベキスタンの首都タシケントにある大通り。

とても綺麗ですよね。

それもそのはず、ウズベキスタンは天然ガスや金や銀、更には石油まで掘れる天然資源国なんです。

ただ、ここまで整備されているのはウズベキスタンの中でもタシケントくらいで、世界遺産にも登録されているサマルカンドやブハラ、ヒヴァへ行けば皆さんがイメージする正に中央アジア!と言った街並みが残ります。

人口は3,300万人、そのうちの40%が16歳未満だそうで今後更なる成長が約束されている国なんです。

シャブバザール(シアブバザール)

ウズベキスタンってどんな国?人口や平均寿命に年収や学校教育など

上記の記事で、実際にウズベキスタンにて教えていただいた平均寿命や平均年収、それに学校教育の内容など詳しく紹介しています。

よろしければ、そちらもご確認ください。

ウズベキスタンってビザは必要?

結論から言いますと2018年2月以降、観光であればビザ申請が不要になりました。

私は2018年の4月にウズベキスタンに行ってきたのですが、2月は申し込みのギリギリのタイミング。

ウズベキスタン観光を申し込むかどうか判断ギリギリのタイミングでのビザ申請が不要になるかどうかのやりとり。

その詳細は下記で触れています。

もしご興味ありましたら、そちらもご確認ください。

2018年2月ウズベキスタンのビザついに免除!某ビザセンターに聞いてみた


ウズベキスタン治安は大丈夫?

写真は、サマルカンドの路面電車。

写真を撮っていたら運転手が手を振ってくれてホッコリ^^

さて、実際に観光して感じたウズベキスタンの治安についてですが、私が行った海外でもダントツで治安はよかったです。

治安の良さで言うと、ウズベキスタン>中国(北京)>カンボジア>トルコ>イタリア、と言った具合でしょうか。

もちろん、これはただの感想でしかありません。

よって、みなさんがそれぞれの国に訪れた際は、当然また違った印象を持つと思います。

ただ繰り返しになりますが、お伝えしたいのは「ウズベキスタンは治安いいよ」と言うことです。

サマルカンドの道

上の写真はサマルカンドのレギスタン広場に行くための大通りなのですが、見ての通りまぁ本当に街灯がない!

それがちょっと危険だなと思ったくらいで、実際には何もありませんでした。

人通りは少ないながらもちょいちょい。

こちらは夜のブハラ旧ユダヤ人街。

まぁ、街灯が少ない!そして、サマルカンドに比べると人通りも全く無し!!

宿泊するホテルへ向かうための近道だったので通ったのですが、ドキドキはしたものの無事通過。

某国や某国でしたら、まぁ色々絡まれたことでしょう(汗。

結果論、私はたまたま無事だっただけかもしれません。

どこの国でもそうですが、なるべく人通りの少ない路地には行かないようにです!

シャーヒズィンダ廟群

物の押し売りがいないわけではありません。

写真はサマルカンドのシャーヒズィンダ廟群ですが、向かって左の手前にあるベンチに1時間近くぼけーっと座っていると日本語で「ガイドブック買って」と声をかけてくる男性が。

ずっと無視していると彼もベンチに座ったので、「日本語お上手ですね」とこちらから声かけたら逆にスルーされました。

当たり前といえば当たり前なのでしょうが、買ってほしい旨だけの言葉を何ヶ国語も把握し、それだけをいろんな国の人に言っていたのです。

また、ブハラではイスマイール・サーマーニ廟の中で、サマルカンドの物売りの彼が売っていた物と同じガイドブックが売られていました。

同じく押し売りをされましたが、断っていたらすんなり引き下がってくれました。

ウズベキスタンの押し売りは本当に他の国のそれと比べると押しが弱い(笑。

それもあって、平和で過ごしやすい印象を受けました。

シャブバザール(シアブバザール)

上の写真は、サマルカンドのシャブバザールです。

現地で知り合った日本人観光客の方から聞いた話ですが、彼女はここシャブバザールでロマ族の方々に絡まれたそうです。

(某国や某国のようにガリガリの赤ちゃんではなかったそうですが)普通の赤ちゃんを抱いた女性が「うちの子かわいいでしょ^^」「写真撮っても良いよ」と声をかけてきたので言われたまま写真撮ったら「写真撮ったんだからお金ちょうだい」と少し追いかけられたそうです。

もちろん、スタスタ無視して歩き逃げ切ったそうですが。

レギスタン広場

写真で言うと、ウズベキスタンでは現地の人々から「一緒に写真撮ろう!」と声をかけられることが本当に多かったです!

撮っている間に財布やパスポートを摺ろうとした輩はゼロ。

現地をずっと案内してくれたウズベキスタン人のガイドさん曰く、ウズベキスタンの田舎に暮らす現地の人が観光でサマルカンドやブハラ・ヒヴァにやってきて、そしてきっと初めて会った外国人が貴方だったんだよ。

だからテンション上がって写真撮ろうと声かけて来ているんだよ(笑)と言ってました。

ガイドさんは日本人専門のガイドさんなのですが、彼が案内する日本人は例外なく写真を一緒に撮ろうと声かけられるそうです。

そんなフレンドリーな彼らの印象もあって、治安が良いように感じたと言うのもありますね!

今だからこそウズベキスタン観光をしよう!

最後までご覧くださいまして、本当にありがとうございました。

とっても長かったと思います。

すみません。。

ですが、ここまで読んでくださった方々は本気でウズベキスタン観光を検討している方々だと思います。

だからこそお伝えします、ウズベキスタン観光はおそらく今が一番です(なるべく早い方がいいです)!

なぜかというと、ウズベキスタンへの海外からの年間観光客はまだ200万人!イコール、これだけ観光資源が揃っているにも関わらず、観光客がとても少ないんです!

治安の部分にも通じますが、観光客が少ないということは、ウズベキスタン観光をする外国人を騙そうとする悪い人たちも圧倒的に少ないということ。

そして、ここで散々お伝えした通り世界遺産の都市が多く、一度その都市に入ってしまえば移動範囲もそこまで広くなく観光できます。

体感的には、少なくとも1日、できれば各都市2〜3日あれば十分に観光できます。

海外観光が趣味の人も、中央アジアはまだ観光したことないという人が多いと思います。

なら、ウズベキスタン観光で中央アジアを感じてみたらいかがでしょうか。

私みたいに、きっと後悔はしないはずですよ^^!


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