2018年4月、サマルカンド国際空港から入国しサマルカンド・ブハラ・ヒヴァと過ごした一週間。
ウズベキスタン最後の訪問の地は、帰国の関係から首都のタシケントとなりました。
私自身、シベリア抑留の日本人の話や、その延長線上でウズベキスタンにも抑留日本人がいたことは知っていたのですが、事象としてしか把握していませんでした。
ここ、タシケント抑留日本人墓地とナヴォイ劇場に実際に訪れてみて、色々と感じる部分もありましたので、これら訪問地について紹介していければと思います。
どうか最後までお読みくださいませ。
公営墓地内にあるタシケント抑留日本人墓地
タシケントの抑留日本人墓地は、それ単体が存在するのではなく多くのウズベキスタン人の方が眠られる公営墓地の一角にあります。
ウズベキスタンはイスラム教徒、ムスリムになります。
国の公営墓地ですので、入口には写真の通りモスクがあるんです。
失礼にあたるのではとも思いましたが、このサイトを読んでくださる人にウズベキスタンのタシケント周辺に抑留された日本人の方が、どんなところに眠っているのか知って欲しく敬意を持って写真を撮らせていただきました。
名前のみ掘られている墓跡もあれば、顔写真が掘られている(現地ガイドさん曰く、正確にはプリント技術だそうです)場合もあります。
ガイドさんが仰っていたのですが、不慮の事故や病気でお子さんを無くしてしまった場合、顔写真をほるケースが多いそうです。
見る限り若い人の顔が多いなと思っていましたが、悔やむに悔やみきれない思いがそうさせるんです。
私自身無宗教ですが、そんな宗教が違うとかどうとか関係なく、安らかにお眠りくださいと心の中で祈るしかできませんでした。
タシケント抑留日本人墓地
公営墓地の中を5分〜10分ほど歩くと、抑留日本人墓地に到着しました。
ご存知の通り、旧ソ連に捕虜とされた旧満州国の日本人や樺太にいた日本人がシベリア抑留をされたわけですが、ウズベキスタンも当時は旧ソ連の統治下にあったわけで、シベリア抑留と同じようにウズベキスタンにも抑留されたわけです。
現地ガイドさんのお話ですと26,000人ほどの日本人がウズベキスタンに抑留され、約1割の方が抑留中に亡くなられたそうです(帰国後ネットで調べてみたところ違う数字が出てきましたが、ここでは聞いた話を優先します)。
私が案内されたここタシケント抑留日本人墓地では、当時18歳から20歳ほどの若者79人の方が眠られています。
今回タシケント抑留日本人墓地へは、ツアーを利用して訪れました。
ですので、ツアー会社が手配してくれていたのかわかりませんが、日本人墓地の墓守さんにお会いすることができました。
写真に映る安倍さんと握手している人です(写真持っている人は現地ガイドさん)。
1992年、ウズベキスタンが独立した際、日本側からウズベキスタンに眠る日本人のご遺体を日本に帰してあげたいと申し入れたそうなんです。
ですが、ウズベキスタン政府は「ずっと面倒をみるから」と断ったのだとか。
え!なんで?とも思いましたが、話を聞いて嬉しくも感じました。
ここの墓守は世襲制なんだそうです。
鎮魂を願う思いが代々受け継がれているんです。
これは、世襲制という言葉に踊らされているわけではなく、私自身、日本人墓地を離れる際に墓守の方に「(ずっとここで見守ってくれて←という思いを込めながら)ありがとう」と現地の言葉でお伝えしたら、(とんでもない←と言った表情で)握手をしてくれました。
流れ作業のように他のツアー客と握手をしていたわけではありません。
だから、私は彼がウズベキスタン政府が約束をしてくれた通りのことを今までもこれからもしてくれると確信をしました。
1998〜2002年にウズベキスタン全権大使だった中山恭子さんが1200本の桜を寄贈されたそうです。
あまり政治的な発言をしたくはないですが(と言いますか私は無党派層ですが)、このようなお話は政党関係なく個人として共感が持てます。
墓守の方から、以前ここタシケント抑留日本人墓地に来られた方から預けられたというお線香をいただきました。
写真の鎮魂碑に線香をあげさせていただきました。
鎮魂碑の裏側は、このように亡くなられた方々のお名前と出身地が書かれています。
ここで眠られている日本人は、全て土葬なんだそうです。
そして、全員メッカの方向に顔が向けられているのだとか。
これはムスリムであるウズベキスタンの埋葬方法に由来するものなのですが、日本の埋葬のことなんて当然知る由もないですよね。
結果、ムスリムの作法で埋葬されているのだそうです。
ナヴォイ劇場
ここはナヴォイ劇場。
ロシア人建築家の設計によって作られた800人は入る現役の劇場となります。
今回、タシケント抑留日本人墓地と一緒にご紹介させていただいたのにも理由があります。
ここナヴォイ劇場も設計はロシア人でしたが、作ったのはこの地に抑留されていた日本人。
1966年にタシケントを襲ったウズベキスタンの地震の際、他の建築物は倒壊したものの日本人の作ったナヴォイ劇場だけは倒壊しなかったとか。
日本人が作ったものは、他にもダムや鉄道など多岐に渡るのですが、地震で倒壊しなかったことから、ここナヴォイ劇場が日本人抑留者の功績として一番に挙げられているんです。
それを証拠に、ナヴォイ劇場の側面にはこのような文字が刻まれています。
ウズベキスタン独立後の初代大統領、カリモフ大統領が建てた石碑なのですが、写真の通り日本語でも記載されています。
尚、石碑には「参加と貢献」とありますが、これはカリモフ大統領が「ウズベキスタンが強制労働させたと思われたくない」からこの表現になったと言うのはガイドさんがが教えてくれました。
確かに当時は旧ソ連の一部であり、ウズベキスタンが日本人捕虜を使って強制労働をさせ作ったわけではないので気持ちもわかりますが…、史実をそのまま記しても問題ないと思うのは私だけでしょうか。
ここ、ナヴォイ劇場や前述のダムや鉄道建設に日本人が(言い方はあれですが)貢献したことは、ウズベキスタンの教科書でもちゃんと触れられているそうです。
そのこともあり、現地ガイドさん曰くウズベキスタン人は親日家が多いのだとか。
戦争や終戦後の不幸な出来事の果てに、今はほんの少しの、そして未来は大きく輝く希望の種を見た気がしました。
ウズベキスタンに眠る多くの日本人の若者が繋いだ未来への種は、確実に芽吹いていると思います。
それを、大きく育てるのが今に生きる人々の役割だと強く思ったタシケント抑留日本人墓地とナヴォイ劇場訪問となりました。
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