中央アジア、ウズベキスタンのブハラにある当時のブハラ・ハン国の王宮アルク城。
2018年4月、そのアルク城を観光しました。
ウズベキスタンやブハラ観光を計画している人にとって、何か少しでも参考になれば嬉しいです。
是非最後までご覧ください。
アルク城
アルク城は紀元前4世紀頃から端を発する古代ブハラの中心地に建てられた城となります。
今のアルク城の原型が建てられたのは1747年からだとか(チンギスハンが攻めてきた時にもここに城はありましたが、それはモンゴル軍に破壊されてしまいました)。
そして、アルク城のアルクは「城」という意味だそうで、実はアルク城と呼ぶと「頭痛が痛い」みたいな感じになってしまうわけです。
帝政ロシアがウズベキスタンを攻めてきた際に、タシケントのあるコーカンド・ハン国、ヒヴァのあるヒヴァ・ハン国が次々負ける中、最後まで抵抗を見せたのがアルク城を有したブハラ・ハン国でした。
最後まで徹底抗戦をした結果、帝政ロシアから大量の焼夷弾を打ち込まれ多くが破壊されました。
上の写真や後に紹介するアルク城の写真で壁が白くなっている部分は、その焼夷弾で破壊された後に修復された部分になります。
ちなみに、徹底抗戦を見せたブハラ・ハン王は戦いに敗れ現在のアフガニスタンまで逃れたそうです。
ただ、財産までは持ち出せず、それが後にシベリア鉄道の開発費に当てられたのだとか。
正面の門の上にあるスペースは民族楽器の間と呼ばれ、ここに多くの民族楽器が保管されていたそうです。
来賓を音楽で歓迎するために楽器倉庫を正面の門の上に作ったんですね。
シルクロード交易都市だったブハラ、こういう面でもおもてなしの文化が見て取れるわけです。
尚、いつものことか分かりませんがアルク城に訪れたその日は自転車で遊ぶ大学生がいっぱい(とってもフレンドリーでした)。
そういえば、ブハラもサマルカンドもレンタサイクルで遊ぶ若者が多かったなぁ(英語もできる子が多いので簡単なコミュニケーションを向こうから取ってくれます)。
アルク城の正面口を入ると、こんな石畳の道があります。
これ、当時のままだそうです!ロマンを感じますよね。
ちょっと分かりにくいと思いますが、正面門すぐに牢屋があります。
イギリスの将軍2名が1839年にアルク城に訪れたそうなのですが、馬乗ったまま訪れたらしく3年間牢獄に入れられた後に処刑されたのだとか。
帝政ロシアに対しても徹底抗戦しただけあって、上から目線の相手に対しては強い姿勢を取る文化があったのかもしれませんね。
アルク城の中にはモスクがありました。
外と中にそれぞれモスクがあり、外は夏用モスク、中が冬用モスクだったそうです。
外の通称城モスクの天井。
とっても細かい装飾が見て取れると思います。
中のモスクの天井がこれになります。
ブハラ自体、シルクロードの中間地点にあるため、イスラム様式のみならず中国の文化の影響も受けているのかな?と思わせるデザインですよね(たぶん受けているんだと思います)。
こちらは謁見の間。
当時は天井もあったそうなのですが、帝政ロシアからの攻撃で破壊されてしまったそうです。
とっても立派な城壁ですよね。
ブハラ・ハン国の強大さを感じられる城壁、圧倒されます。
ちなみに城壁の上に見える東屋のような建物、これブハラ・ハン王が国民に姿を見せるために作られた場所だそうです。
以上、アルク城の模様はいかがだったでしょうか?
他にもブハラでは13箇所の観光地を巡りました。
よろしければそちらの模様もご覧いただけたら嬉しいです!
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